お母さんの携帯
今日、お母さんが死んでから初めてお母さんの携帯に電源を入れた。
古い機種で今はガラケーと呼ばれる二つ折りケータイだ。
電源コードを探して、充電すると、まもなく電源が入った。
操作方法が少しの間わからなかったが、触っているうちにわかるようになった。
遺書を探したけど、やっぱり見つからなかった。
送信済メールも全然読めなかった。
次に写真を探した。
すると古い写真がたくさん出てきた。
お母さんの写った写真も何枚かあった。
でもどの写真も私の記憶してるお母さんの顔じゃなかった。
写真写りが悪いか、写真向けに作る顔が私の記憶の顔とは違うんじゃないかと思う。
写真に映ったお母さんの顔は遺影と同じ顔をしていた。
遺影を見て私は最初ショックだった。
全然普段のお母さんの顔じゃないんだもん。
でも写真向けに作った顔がこういう顔なんだな、と少し納得がいった。
それとも私の記憶違いだろうか。
でも、私の写真がずーっと多かった。
私の記憶がないぐらい昔の写真があった。
日付がついていたので「あーそういえばあったな」と思えた。
お母さんはこういう思い出を抱えて、毎日仕事に行っていたのかと思った。
私を少しでも可愛く撮ろうとして写真撮影に付き合わせたお母さん。
当時は鬱陶しかったけど、私を愛していてくれたことの何よりの証だと思った。
ある意味これが遺書なんじゃないかと思った。
映った私は13歳、14歳ぐらいの私だった。
まだ仲が良かった頃。
ごめんね、お母さん。
またあの頃みたいに仲良くなれる日がきたかもしれないのに、なんで死んじゃったんだろう。
残念だったけど、今日10年越しの再会に思えた。
幸せだった頃のお母さんとの再会。
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