母を自死で亡くした娘のブログ

2017年5月14日に母親を亡くしました。「喪」という気持ちとずっと向き合えなかった私が最近思うことを発信します。

久しぶりに

久しぶりにブログを書いてみることにしました。
最後に書いたのは3年前でした。前書いた記事を読み返すと恥ずかしくなります。
あれから色々ありました。以前は23歳でしたが、私ももう十分大人という年齢になりました。
正社員で仕事もしてみました。
一緒に暮らしている祖母の認知症が進み、ケアマネージャーさんをつけてもらい、先週からデイサービスにも行ってもらうようになりました。
やはり母親の死について向き合っていかなくてはならないという気持ちになりました。


過去に書いた内容に関しては読んでいただいた方には本当にごめんなさい。幼稚で、稚拙だったと思います。
最近は仏教に関心を持ち、仏教の本も読んでいます。
自死遺族の会も来月行くことにします。
もし良ければ、自死遺族の方々ともう一度お話ししたいです。
私もある程度大人になったので、ブログという公共性を持つ媒体について十分に考えながら、考えをシェアしていきたいと思います。

傷つかないようにすべきだと思う

昨日の記事、実際に障害児のお母さんの人から指摘を受けたけど、
私は障害者をバカにして書いたわけじゃない。
それにわざわざ傷つくとわかるような記事を読んで進んで傷つけられにいく、
「こういう人の気持ちを考えてください」って悲しい顔してコメントに書いてくる、
これ無駄な行為じゃないのかな。
だって、それ言ったら、自殺者をバカにしてる人のブログに行って私が「傷つきました」ってコメント書くのと一緒でしょ。
誤解を産まない形で書くことは私にとっては不可能なんだけど、
わざわざ傷つくようなコンテンツ進んで読みにいく方がどうかしてるんじゃないかな。
それに本当にそういう傷つくコンテンツを書く人の心は根本的には変えられないと思う。
私も、望まれない子供がいることは知ってるし、それは誰も否定できないことだと思う。
ダウン症でもそうでなくても。
それを話題として私のブログに使ったことは悪いことだったかもしれない。
ちなみにそのコメントをくれたお母さんはコロナ下でもたくさん旅行をしてる人だった。
その人だって旅行を控えてる人にとって傷つくコンテンツを出している、という発想だってできるかもしれない。
現に私はそのブログを見て自粛してない人がいる、悲しいことだと思った。
私は決して敵を作ろうとしてるわけじゃないんだけど、
誰にとっても傷つかないコンテンツを書くことは不可能なんだといいたい。

親の心はわからない

障害のある子供の特別養子縁組に関するドキュメンタリーを見ていた。
私は正常に生まれて正常に育ったはず、というか人よりよくできる子だった自負はあるのに、
なんで私よりダメな子の親は生きてて私の親は死んでるわけ?
なんで私の家族は一家離散してるの?
私何にも悪いことしてないのに。
正常に生まれてきたのに。
望まれて生まれてきたはずなのに。
私は行き場のない怒りを抱えているけど、
もはや私は子供視点でいるわけにはいかない。
私はもう若くない。
少なくとももう子供ではない。
それは受け入れなきゃいけないことだと思う。
何歳になっても「なんでお母さん死んじゃったの?なんでお父さんいないの?」って嘆き悲しんでるわけにもいかない。
私だってそう遠くない未来に人の親になるかもしれない。
私はすでに葛藤を抱えている。
私は子供を幸せにしてあげられる自信はない。
子供の将来を考えてやれる自信はない。
自分の子供が障害を抱えていたらどうしようとか思う。
子供がほしくなくなる。
私は子供の幸せについて考えることが難しい。
だって私の親に幸せにしてもらえたことなんてないし。
親のことも幸せにできなかった。
私なんて産まなきゃよかったのにって何度思ったことか。
子供を産む行為そのものも極めて気持ち悪いし痛そうだしグロテスク。
子供なんて産みたくない、全ての面で気持ち悪い。
子供はよだれ垂らすし汚いし。
そんなものを愛せる心ってやっぱり母性なんだなーと思う。
子供産まないとやっぱり母性って身につかないものなのかな。
母性って偽善と紙一重な気がするんだ。
気のせいだろうか。
子供が障害をもっているとわかってからそれまでびっしり書いていた母子手帳の記入欄が真っ白になり、生まれた子供を養子縁組に出した母親もドキュメンタリーで取り上げられていた。
障害を負った子供が愛せないってことは、つまりどういう意味か。
健常者を期待していたってこと。
健常者=ある一定の基準を満たしている子供のこと。
一定の基準を要求する時点ですでに無条件の愛じゃないよね。
無条件の愛がなければ子供は幸せになれないって聞くけどさ、
障害を持った子供でも愛せる親ってどれぐらいいるわけ?
親って神様みたいな人じゃないと務まらないように思うけど。
育ったところで自殺しちゃうような私の母親みたいな人もいるし。
お母さんは何が不満だったんだろう。
私はまともに育ったじゃないか!自立できるまでに育ったじゃないか!何が不満だったの?
子供がダメすぎて自殺したわけじゃないだろうとは思うけど、
私がもっと性格がいい子だったら自殺しなかったかもしれない。
でもこの性格に育て上げたのはお母さん一人の責任。
こういうのもあれだけど、離婚も私のことも割とお母さんの自己責任だったんだよね。
それで自殺したのって、お母さんなりの責任の取り方だったんだろうか。
私はそれに巻き込まれただけ。
親子の絆なんて信じられないよ…
損得勘定抜きの関係なんて信じられない…
私っておかしいのかな。
でも、結婚出産が女の幸せのバロメーターとして見られることもよくわかってる…
私は自分の子供はステータスのためだけに利用しちゃいそうで怖いな。
子供見て可愛いとは思うけど、可愛いという気持ちだけで世話できるのかとか、
根本的なところから懐疑的。