母を自死で亡くした娘のブログ

2017年5月14日に母親を亡くしました。「喪」という気持ちとずっと向き合えなかった私が最近思うことを発信します。

親の心はわからない

障害のある子供の特別養子縁組に関するドキュメンタリーを見ていた。
私は正常に生まれて正常に育ったはず、というか人よりよくできる子だった自負はあるのに、
なんで私よりダメな子の親は生きてて私の親は死んでるわけ?
なんで私の家族は一家離散してるの?
私何にも悪いことしてないのに。
正常に生まれてきたのに。
望まれて生まれてきたはずなのに。
私は行き場のない怒りを抱えているけど、
もはや私は子供視点でいるわけにはいかない。
私はもう若くない。
少なくとももう子供ではない。
それは受け入れなきゃいけないことだと思う。
何歳になっても「なんでお母さん死んじゃったの?なんでお父さんいないの?」って嘆き悲しんでるわけにもいかない。
私だってそう遠くない未来に人の親になるかもしれない。
私はすでに葛藤を抱えている。
私は子供を幸せにしてあげられる自信はない。
子供の将来を考えてやれる自信はない。
自分の子供が障害を抱えていたらどうしようとか思う。
子供がほしくなくなる。
私は子供の幸せについて考えることが難しい。
だって私の親に幸せにしてもらえたことなんてないし。
親のことも幸せにできなかった。
私なんて産まなきゃよかったのにって何度思ったことか。
子供を産む行為そのものも極めて気持ち悪いし痛そうだしグロテスク。
子供なんて産みたくない、全ての面で気持ち悪い。
子供はよだれ垂らすし汚いし。
そんなものを愛せる心ってやっぱり母性なんだなーと思う。
子供産まないとやっぱり母性って身につかないものなのかな。
母性って偽善と紙一重な気がするんだ。
気のせいだろうか。
子供が障害をもっているとわかってからそれまでびっしり書いていた母子手帳の記入欄が真っ白になり、生まれた子供を養子縁組に出した母親もドキュメンタリーで取り上げられていた。
障害を負った子供が愛せないってことは、つまりどういう意味か。
健常者を期待していたってこと。
健常者=ある一定の基準を満たしている子供のこと。
一定の基準を要求する時点ですでに無条件の愛じゃないよね。
無条件の愛がなければ子供は幸せになれないって聞くけどさ、
障害を持った子供でも愛せる親ってどれぐらいいるわけ?
親って神様みたいな人じゃないと務まらないように思うけど。
育ったところで自殺しちゃうような私の母親みたいな人もいるし。
お母さんは何が不満だったんだろう。
私はまともに育ったじゃないか!自立できるまでに育ったじゃないか!何が不満だったの?
子供がダメすぎて自殺したわけじゃないだろうとは思うけど、
私がもっと性格がいい子だったら自殺しなかったかもしれない。
でもこの性格に育て上げたのはお母さん一人の責任。
こういうのもあれだけど、離婚も私のことも割とお母さんの自己責任だったんだよね。
それで自殺したのって、お母さんなりの責任の取り方だったんだろうか。
私はそれに巻き込まれただけ。
親子の絆なんて信じられないよ…
損得勘定抜きの関係なんて信じられない…
私っておかしいのかな。
でも、結婚出産が女の幸せのバロメーターとして見られることもよくわかってる…
私は自分の子供はステータスのためだけに利用しちゃいそうで怖いな。
子供見て可愛いとは思うけど、可愛いという気持ちだけで世話できるのかとか、
根本的なところから懐疑的。