母を自死で亡くした娘のブログ

2017年5月14日に母親を亡くしました。「喪」という気持ちとずっと向き合えなかった私が最近思うことを発信します。

死者を偲んだテディベア


亡くなった人の服でテディベアを作ってくれる人がメキシコとアメリカの国境にいるらしい。
テディベアは、直接遺体とのお別れをできなかった人の心を癒してくれる。
なかなか良いアイデアだと思った。
私は母親が着てたもの、
思い出せるけど、おそらくすでに捨てられている。
遺品整理、私は何も関わってない。
母方の叔父と叔母が全て母の死後直後にやってしまった。
リサイクルショップに母の服を売って私にその金を渡してきた。
気持ちは嬉しかったけど、小銭も入った封筒がなんだか私には寂しかった。
お母さんの好きだった服には所詮それぐらいの価値しかなかったのか、みたいな。
まあ安物しかないことは知ってたけどそれなりに母親のこだわりもあったはずだったのに。
叔父や叔母には見えないんだね。
私にしか見えなかった母の何か、特徴があったはずなのに。


母親が生きてた頃は母親の葬式に死んでも行くもんかって意気込んでたな。
今思うと笑える。
葬式出ることが人が死ぬことの一番最悪なところじゃないから。
当時の私は知る由もなかった。
私は、母親の葬式の時にはてっきり自分は海外で働いてるんだとか思ってた。
まさか一人暮らし始めて数ヶ月後に母親の葬式に出ることになるとは思わなかった。
ラジオから、大学の志望校全落ちした人の話が聞こえてきた。
その方は一年予備校に通って合格を勝ち取ったそう。
私はそれを聞いて思った。
「私はちゃんと一発で合格したのに、なんでお母さんはそれで満足じゃなかったんだろう」
「私はこんなにできる良い娘だったのに」
自分と高校時代の友達を比べても私の方がよっぽどできた。
なのに、なんで友達のお母さんは生きてて私のお母さんは死んじゃったんだろう。
私がよっぽど勉強以外の面で悪いことしたのかな?
勉強してれば良いとお母さんも言ってくれたのに、何がダメだったの?
お母さんの髪のカーラーがトイレにずっと置いてある。
母親が死んでからずっと一つだけ寂しそうに置いてある。
私はずっと気味が悪くて放置していた。
叔母さん叔父さんなんで全部捨ててくれなかった。
なんかなー。
叔母さんと叔父さんと感覚がズレてて、気持ち悪い。
さらにお母さんの持ち物も気持ち悪い。
お母さんの下着とかもしばらくはそのまま残ってた。
今はさすがに祖母が捨てたと思うけど。
私が死ぬときは下着全部捨ててからにしようと心に誓う。
誰かが捨てないといけないんだから。
死人の持ち物は穢れたもの。
ゴミより汚いもの。縁起が悪い。


いかんいかん、なんで私はこんな嫌な内容しか書けないんだろう。
「もう帰る場所はない。これからこの地をみんなのふるさとにするのだ」
歴史上の人物、十一代齋藤用之助の言葉だって。
ラジオから流れてきた。
私にはこういうメンタリティがある気がする。
帰る場所はない、みたいな。
今住んでるのは母親が願って作った家だけど、
結局この家も母親を幸せにすることはできなかった。
何がダメだったの?
母が望んだこと全て叶ったじゃん。
離婚も私の勉強も学校も家も。
全て叶ったじゃん…何が不満だったの…
仕事が嫌だったのかな。
私にはもうわかんないや。
何が嫌なのか説明してくれればわかったかもしれないのに。
母親の命日も、実はうろ覚えなんだ。
カレンダーに書いておいたわけでもない。
5月14日とかだったかもしれない。
多分26日であってるけど…
記憶がどんどん薄れていくよ。
母親のことを覚えておく人も他にいない。
私も死んだ時はそうなりそうだな。
命日を覚えてくれてる人もいなさそう。
悲しいけど、お母さんはそれでもいいんだろうね。
死んじゃったからもう関係ないね。誰が覚えてるとか。
そういうのが嫌だから死んじゃったんだもんね。