母を自死で亡くした娘のブログ

2017年5月14日に母親を亡くしました。「喪」という気持ちとずっと向き合えなかった私が最近思うことを発信します。

お母さんの携帯

今日、お母さんが死んでから初めてお母さんの携帯に電源を入れた。
古い機種で今はガラケーと呼ばれる二つ折りケータイだ。
電源コードを探して、充電すると、まもなく電源が入った。
操作方法が少しの間わからなかったが、触っているうちにわかるようになった。
遺書を探したけど、やっぱり見つからなかった。
送信済メールも全然読めなかった。
次に写真を探した。
すると古い写真がたくさん出てきた。
お母さんの写った写真も何枚かあった。
でもどの写真も私の記憶してるお母さんの顔じゃなかった。
写真写りが悪いか、写真向けに作る顔が私の記憶の顔とは違うんじゃないかと思う。
写真に映ったお母さんの顔は遺影と同じ顔をしていた。
遺影を見て私は最初ショックだった。
全然普段のお母さんの顔じゃないんだもん。
でも写真向けに作った顔がこういう顔なんだな、と少し納得がいった。
それとも私の記憶違いだろうか。
でも、私の写真がずーっと多かった。
私の記憶がないぐらい昔の写真があった。
日付がついていたので「あーそういえばあったな」と思えた。
お母さんはこういう思い出を抱えて、毎日仕事に行っていたのかと思った。
私を少しでも可愛く撮ろうとして写真撮影に付き合わせたお母さん。
当時は鬱陶しかったけど、私を愛していてくれたことの何よりの証だと思った。
ある意味これが遺書なんじゃないかと思った。
映った私は13歳、14歳ぐらいの私だった。
まだ仲が良かった頃。
ごめんね、お母さん。
またあの頃みたいに仲良くなれる日がきたかもしれないのに、なんで死んじゃったんだろう。
残念だったけど、今日10年越しの再会に思えた。
幸せだった頃のお母さんとの再会。

記憶に入る亀裂

お母さんが好きだった曲がラジオで流れた。
もう私の過去の記憶、必ずお母さんが関わってるから、
思い出すこと全てに悲しみがついて回るよ。
思い出す曲にもギーっと雑音が入るような感じがするんだ。
川島愛さんの『旅立ちの日に』
お母さんが好きだった曲。
お母さんが聞いてた気がする。
歌った人はちゃんと生きてるのに、お母さんはもういないなんて。


昨日デパートに祖母の買い物に連れて行かれた時も、
ディスプレイに並んでた携帯ケースに首からかける紐がついてて、
その紐が何本も並んでて、
お母さんの死んだ方法を思い出しちゃった。
最初の頃はハンガーからかかった服も怖くて直視できなかった。
お母さんどうしてくれるんだよ。
私のこれからの人生どうしてくれるんだよ。


散歩も疲れて途中で引き返しちゃった。
私何にもできなくなっちゃった。


お母さんと同じ場所で同じ方法でやれば死ねるのは確実なんだけど、
死にたくないよ。
でも生きるのも辛いよ。
寂しくて辛いよ。

忘れられた命日

お母さんの命日、忘れてた。
5月26日だと思ってたら5月14日だったよ。
祖母に教えてもらったのと区役所で確認したのとで確実。
ごめんね、お母さん。
カレンダーに書いておかなかったから私お母さん26日まで生きてたと勝手に勘違いしてたよ。
12日猶予があったら、、お母さんは死なずに済んだかもしれなかったのに。
いくらでもぎゅーって抱きしめることだってできたはずだったのに。
お母さん、流産した子もいたよね。
その子の命日私は覚えてないよ。
もう誰も覚えてないと思う。
お母さんは毎年カレンダーに書いておいてたのにね。
もしかしたら、天国で会えてるかな。
お母さんがおじいちゃんと、その子と、あって毎日楽しくしてたらいいな。
天国では誰も忘れられずに、幸せに暮らせてるのかな。
この世界ではあらゆるものが忘れ去られていく一方だよ。
寂しいな。
生きてる私のことも忘れてる人の方が多いんじゃないかと思う。
今まで関わった小さい頃の友達。
もう連絡の手立てもない。
毎日一緒にいたのに今は忘れられてるって、悲しいね。
お母さんも多分寂しい思いしてたよね。
お母さんも連絡途絶えちゃった友達たくさんいたもんね。
人間関係ってそんなものなのかな。
お母さんも私も人間関係で苦労したよね。
お母さんがいなくなって私寂しいよ。